戦国時代

藤堂高虎の遺訓から学ぶ、戦国武将の身だしなみ【着物編】

藤堂高虎は200ヶ条もの遺訓を残しています。
その遺訓には、服装の事も結構載っています。

信長の時代から江戸時代初期までを駆け抜けた生粋の戦国武将から、当時の武士が服装に関してどんな気を使っていたのか紐解いてみましょう。
と言っても、多分に私なりの解釈が入っておりますので、正しさについては保障できませんのでご容赦ください。

今回は、着物編です。平服と言いましょうか、普段着に関連しそうな遺訓を集めてみました。
戦場の服装については別記事にまとめますね。

遺訓の原文は「藤堂高虎公と遺訓二百ヶ条」から引用しています。
訳文はそれを元に、私の方で解釈を加えたものを掲載しています。

着物に関する遺訓

第64条
冬なり共薄着を好へし厚着を好めばくせになり俄にうす着の時かじける物也不断火にあたりつくへからす但病人老人は格別なり

冬でも薄着を好め。厚着を好めば癖になり、薄着になった時かじかむぞ。普段から火にあたらないようにしろ。但し病人老人は別だ。

冬でもなるべく薄着にしておかないと、いざという時動けないよ!という事でしょうか。
現代なら、普段からずーっと暖房の効いた場所にいてはいけないぞ、という感じ。
病人と老人は別である、というところに、なんとなく律儀さを感じますね。わざわざ言っておくところに(笑)
現代人には耳の痛い話ですが、昔は今より火事も多かったようですし、火にあたってる時間はなるべく少なくした方がいいという考えが一般的だったのかな。
そのかわり、帯は二重にしなさい、とか言ってたので、とりあえず要所はしっかり温めておけば大丈夫だ!という考え方だったのかも知れません。


第140条
身深くかさり薫ひふんふんとするはくせもの成へし女若衆は格別なり惣而男たる人はさのみかもふへからす人によく見られ思はれんとするは心根いたつらのもとひ成へし

身をかざり、匂いをぷんぷんさせる奴は代わり者だ。女性や若者は別だが、男というものはそのようにかまうものではない。人によく見られたり思われたいとする心は、無益なことの始まりだ。

現代的に要約すると、いい歳の男がオシャレして香水なんぞ付けるな!周りの目を気にしても無駄だ!…かな(笑)

当時、匂いをぷんぷんさせていた男として私が思い出すのは、木村重成です。普段から、というわけではなく、八尾・若江の戦いで死んだ時に首になる事を見越して、兜に香を炊き込んでいたそうな。
そしてその八尾・若江の戦いで戦った相手が、藤堂軍と井伊軍なのです。
木村重成は藤堂軍の右翼を破っていますが、そこには高虎が秀長に仕えた頃からずーっと一緒にいた藤堂新七郎や、高虎が自分の兜をプレゼントする程期待していた若者、藤堂良重がいて、この戦いで亡くなってます。
そして木村重成は、最後は井伊軍に討たれ戦死しました。

そりゃ、匂いをぷんぷんさせてる男の事は嫌うよなぁ、という、ちょっと意地悪な見方もできます。
ただ、木村重成は23歳だったそうなので、まだギリギリ「若衆」の括りに入るのかも知れません。

また、別の見方もできます。
当時、公家の乱行事件があったんです。「猪熊事件」というやつ。
その事件で幕府は公家を処罰するのですが、それがきっかけで朝廷との関係は少しギクシャクします。だんだん幕府が朝廷に対して決まり事を押し付けたりして、強硬な姿勢をとり始めるわけです。
その後「和姫の入内」という難題が持ち上がります。そこで高虎さんはすっごい苦労するんです。朝廷の人たちと幕府の間で調整役をしてるんです。

それで、ここからは私の推測なんですけど、多分そこの人たち、香道とかも嗜んでいたと思うので、それなりに匂いがしたんじゃないかな。
そしてそれなりのオシャレもしていたと思うのです。おじさんでも。

で、やっと解決して帰って来て、身の回りの武士がそんな事してたら「こいつ公家でも無いくせに何しとんじゃ」と思ったのかも。本物の公家と交流してきてるわけだし。
さらに、上記の「猪熊事件」の猪熊さんは事件発覚後逃亡したらしいので、同じようなおじさん(と言っても当時、猪熊さんは27歳だったわけですが、当時の価値観からしたらおじさんかな)を見たら「こいつ怪しい奴」と思ってしまうかも知れません。

まぁ、ただ見た目ばっかり気にしているおじさんが嫌なだけかも知れませんが。
女性や若者は別、と書いてあるので、オシャレや香り自体が嫌だったわけでは無いと思うのです。
ただ、ちゃんと年齢に合った格好をしなさい、と言っているのだと思います。


第146条
我内にては如何様の衣類も不苦出仕抔の時は能物を可着世話にけはれを知らぬ侍は必出仕に恥をかくと云

内ではどんな衣類を着てもよいが、出仕する時はいいものを着ろ。世の中の「け」と「はれ」を知らない侍は、出仕の時に必ず恥をかく。

「けはれ」は祝い事などがある「ハレ」と普段のことである「ケ」の事だと思われます。当時からこの考え方はあったのですね。
出仕とは、勤めに出ることなので、つまりこの遺訓は現代的に言うと、
「家では何着てもいいが、会社に行く時はそれなりの格好で行かないと恥をかくぞ」
と言ってるわけですね。
ジャージで会社に来るなと。ちゃんとスーツ着てこいと。
昔も、今と変わらないんだなぁ。

遺訓から学んだことまとめ

藤堂高虎流、服装のあり方
  • 冬でも健康な者は薄着をすること
  • いい歳した男が、見た目ばかり気にしてオシャレをしたり香を付けたりしないこと
  • 場所や状況に応じて服装は選ぶこと

藤堂高虎公と遺訓二百ヶ条を読んでみよう

藤堂高虎さんの遺訓は、面白いことがたくさん書いてあります。
伊賀上野城の公式Webサイトから遺訓集を購入できます。他にも逸話など色々掲載されていてとても良い本です。
文字が大きめなのでお年寄りでも読めると思います。
私は文庫版を持ち歩きたいくらいです(笑)

是非是非、買って読んでみてください。

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